一昔前であれば、男性が外で働いて、女性は専業主婦として家事と子育てをすればよい、という分業制がまかり通っていました。もちろんその当時であっても女性の中には外で働いている人もいましたが、多くの場合差別を受けたり、活躍の場を制限されたりしてきたのです。そして時代は変わり、今では女性の社会進出は当たり前のものとなりつつありますが、それでも女性の管理職の割合が、先進諸国中でも数少ないなど、まだまだ平等な機会を与えられているとはいえないようです。さてここでIT業界といえば、エンジニアの人手不足は慢性的であり、解消する兆しも見えません。そのような中で、もともと理工系の学部や専門学校に女性の姿は少なかったとはいえ、やはり女性プログラマの活躍する姿があまり見えないのは寂しい限りです。
しかしこれが即、女性プログラマに能力がないためと結論付けることは出来ないでしょう。男性は論理的であるのに対して、女性は感情的であるとは世間でよく言われます。そのため男性は地図を読むのが得意だが、女性は地図を読むことが出来ない、などその「実例」とされるものに枚挙の暇もありません。しかしそのような怪しげな「実例」をいくら挙げたところで、なんら得るものはないのであり、もっと根本的に女性が本当に能力面で劣るため活躍出来ないのかどうかを、考える必要があります。つまり女性が能力を発揮することを阻害するような要因が、どこかに潜んでいるのだとすれば、それは裏返しに男性にとっても同じことであるかもしれません。そのため女性が活躍出来ない背景を、慎重に探る必要があるのです。
女性にせよ男性にせよ、実力を発揮することが出来るようになるためには、認められることが大切です。小さな成功体験を積み重ねることが出来れば、自分に自信が生まれます。少しずつでも挑戦する気概が生まれれば、成功するために意欲をもって勉強したり研究したり議論したりといった、積極的な姿勢が生まれるのです。つまり女性であってもあれこれ試して、小さな勝った、負けたという経験を繰り返すことが出来る環境が、女性の能力を引き出すのです。しかし残念ながら今の日本の社会には、男性であってもリストラや会社の倒産に怯えつつ、長時間労働に疲弊しており、人を育てたり試行錯誤を見守ったりという余裕はなさそうです。かくなる上は、女性自身が実力を発揮できるように職場環境を変えて行く他ありません。何の根拠もなく女性には責任を持たせられないという単純な決めつけを鵜呑みにすることなく、自分にはその能力があると女性自身が信じることです。口に出して言葉でなりたい自画像をはっきりと描くことによって、自己イメージは変わります。自己イメージが変われば行動も変わります。行動が変れば周囲の見る目も変わるのです。